BACKGROUND & PROGRESS
なぜ、開設記念の開催名称が
「オランダ王国友好杯」なのか?
オランダと大分の繋がりとは?
話は約420年前に遡る。オランダ船「デ・リーフデ号」を含む5隻の商船が東洋貿易拡大のため、ロッテルダムを出航。途中、暴風雨や他国の襲撃に遭い、1600年4月19日、デ・リーフデ号の1隻だけが豊後の国臼杵(現大分県臼杵市)にある黒島に漂着した。乗船していた「ウィリアム・アダムス」をはじめとするオランダ国の人間が初めて日本の土を踏んだのである。
その後、「ウィリアム・アダムス」は江戸に呼ばれ、後に徳川家康の外交顧問として活躍。「三浦 按針(みうら あんじゅ)」として日本名を与えられ、その後の生涯を日本で過ごした。
オランダは鎖国時代に西洋の国で唯一、交易が認められた国であり、日本とオランダの友好の歴史は大分から始まったと言われている。
最初の開催は、「オランダ王国皇太子杯」競輪として開催!
平成11年、日蘭交流400周年記念事業のため、当時のオランダ王国大使と平松大分県知事が面談した際、「オランダはスポーツとして自転車レースが盛んな国である」との紹介があり、平松知事が大分県でも別府競輪場で自転車競技が行われていることを紹介しました。
当時、ウィレム=アレクサンダー皇太子殿下(現オランダ国王)が自転車競技に興味を示されたこと、さらには、平成12年に開催されたオリンピック競技の正式種目として「ケイリン」が採用されたこともあり、記念事業の一環として「別府市営別府競輪 オランダ王国皇太子杯」が開催されました。
継続開催の了承とその後について
別府競輪にとって、オランダ王国の皇族から記念杯を賜ることは非常に名誉なことであるため、オランダ総領事館に継続開催を依頼し、了承を得ることができましたので、第1回開催以降、毎年開催となりました。
また、第14回開催からは、皇太子殿下が国王に即位されましたので、「オランダ王国友好杯」に名称を改めました。
令和元年に節目の第20回を迎えるにあたり、オランダ大使館了承のもと、GIII開設記念競輪へ格上げしました。
- なお、第1回開催からの日程は以下のとおりです。
- 第1回 平成12年4月 (FI)
- 第2回 平成13年8月 (FI)
- 第3回 平成14年5月 (FI)
- 第4回 平成16年3月 (FI)
- 第5回 平成17年3月 (FI)
- 第6回 平成17年9月 (FI)
- 第7回 平成18年11月 (FI)
- 第8回 平成20年3月 (FI)
- 第9回 平成20年10月 (FI)
- 第10回 平成22年2月 (FI)
- 第11回 平成22年7月 (FI)
- 第12回 平成23年11月 (FI)
- 第13回 平成24年11月 (FI)
- 第14回 平成25年10月 (FI)
※当開催から「オランダ王国友好杯競輪」
- 第15回 平成26年12月 (FI)
- 第16回 平成28年3月 (FI)
- 第17回 平成28年10月 (FI)
- 第18回 平成29年11月 (FI)
- 第19回 平成30年10月 (FI)
- 第20回 令和元年12月 (GIII)
※当開催からGIII開設記念競輪に格上げ
- 第21回 令和2年12月 (GIII)
- 第22回 令和3年6月 (GIII)